ヨーガ・スートラ 第1章8節(YS 1.8)

定義

ヨーガ・スートラ 1.8 は、誤った(逆転した)認識(ヴィパリヤヤ)を定義する一節です。


原文

विपर्ययो मिथ्याज्ञानमतद्रूपप्रतिष्ठम्

viparyayo mithyā-jñānam atad-rūpa-pratiṣṭham

ヴィパリヤヨー・ミッティヤージュニャーナム・アタドルーパ・プラティシュタム


逐語分解

  • ヴィパリヤヤ(viparyaya/विपर्यय) : 誤った認識、転倒、逆転
  • ミッティヤー(mithyā/मिथ्या) : 偽りの
  • ジュニャーナ(jñāna/ज्ञान) : 知、認識
  • アタドルーパ(atad-rūpa/अतद्रूप) : その形ではないもの。a(否定)+ tad(それ)+ rūpa(形)
  • プラティシュタ(pratiṣṭha/प्रतिष्ठ) : 基づいた、立脚した

和訳

誤った認識とは、対象そのもののすがたに基づかない、偽りの知である。


解説

古来の註釈が挙げる例は、薄暗がりで縄を蛇と見あやまるという話です。
そこに何かがあること自体は正しい。しかしそれが何であるかを取り違えている。これがヴィパリヤヤです。

次節のヴィカルパとの違いが要点になります。
ヴィパリヤヤは、実在する対象を取り違える
ヴィカルパは、対象そのものが存在しない(→ 1.9)。
縄を蛇と見るのが前者、言葉だけがあって実体のない観念が後者です。

このヴリッティが厄介なのは、本人には正しく見えていることです。
想像や記憶は「これは想像だ」と気づけますが、誤認は確信を伴います。
だからこそ第2章では、無知(アヴィディヤー)がヴィパリヤヤの一種として、苦の根本原因に据えられます(YS 2.5)。

関連するスートラ

  • YS 1.7 : 対になる正しい認識
  • YS 1.9 : 実体を欠く想像との違い

🔗リンク