ヨーガ・スートラ 第1章11節(YS 1.11)

定義

ヨーガ・スートラ 1.11 は、記憶(スムリティ)を定義し、心のはたらき五種の分類を完結させる一節です。


原文

अनुभूतविषयासम्प्रमोषः स्मृतिः

anubhūta-viṣayāsampramoṣaḥ smṛtiḥ

アヌブータ・ヴィシャヤーサンプラモーシャハ・スムリティヒ


逐語分解

  • アヌブータ(anubhūta/अनुभूत) — 経験された。anu(〜に沿って)+ √bhū(なる)の過去受動分詞
  • ヴィシャヤ(viṣaya/विषय) — 対象、境。感官がとらえるもの
  • アサンプラモーシャ(asampramoṣa/असम्प्रमोष) — 奪い去られないこと。a(否定)+ sam + pra + √muṣ(盗む)
  • スムリティ(smṛti/स्मृति) — 記憶。語根 √smṛ(思い起こす)

※ viṣaya + asampramoṣaḥ は連声により viṣayāsampramoṣaḥ(a + a → ā)。


和訳

記憶とは、経験された対象が〔心から〕奪い去られずに残ることである。


解説

1.6 が列挙した五種の、最後の一つです。これで心のはたらきの分類が完結します。

この一節の妙味は、否定形で定義されていることにあります。パタンジャリは記憶を「蓄えられたもの」とは言わず、「盗み去られなかったもの」と言っています。アサンプラモーシャの √muṣ は「盗む」を意味する語根です。記憶とは倉庫に積まれた品ではなく、逃げ去らずに留まっているものだといいます。つまり、心は本来、経験を手放していく性質を持っており、記憶とはその流出をまぬがれた残りだ、という捉え方がここにあります。

では、なぜ記憶が最後に置かれるのでしょうか。 それは記憶が、他の四つに依存しているからです。何かを思い出すとき、人は正しい認識(1.7)を再生しているか、誤認(1.8)を、想像(1.9)を、あるいは眠りの感覚(1.10)を再生していることになります。記憶だけが単独では成り立たないのです。だから五番目に置かれます。

もう一つ、この語には辞典として見逃せない広がりがあります。 スムリティは、インドの伝統において聖典の分類名でもあるのです。天啓として「聞かれた」シュルティ(ヴェーダ)に対し、聖仙が「記憶し伝えた」ものがスムリティなのです。マハーバーラタ、プラーナ、ダルマシャーストラがこれにあたります。そしてバガヴァッド・ギーターはマハーバーラタの一部であり、この分類ではスムリティに属します

同じ一語が、心のはたらきの一種を指しもすれば、聖典の一群を指しもしているのです。記憶するという心のはたらきが、そのまま伝承という文化の営みの名になっているわけです。

関連するスートラ

  • YS 1.6 : 五種の列挙。この節で完結する
  • YS 1.7〜1.10 : 他の四種
  • YS 1.12 : 次節。修練と離欲による止滅へ

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